好きな人  すきなひと












「どうしても、だめなんですか?」


どこか泣き出してしまいそうな少女の声が聞こえ、
ドアを開けようとしたその手を、香穂子は思わず引っ込めた。


「お前さんは生徒で、俺は教師。それ以上でもそれ以下でもない」


聞こえるのは、紘人の声。


これは明らかに、紘人が女生徒に告白されている現場だ。


こういった場面に遭遇するのは初めてではない。






面倒臭がり屋で、へタレで。

だが、いざという時はすごくかっこよくて、頼りになる。

そんな紘人は、意外とモテる。

その事を知ったのは、こうして音楽準備室に通うようになってから。



『お前さんは生徒で、俺は教師。それ以上でもそれ以下でもない』



紘人は必ず生徒にそう告げる。

それが紘人なりの『生徒を傷つけない断り方』だという。

それを聞く度に、香穂子は胸を痛めていた。



紘人は教師で、自分は生徒。



きっとそれ以上でもそれ以下でもないのだろう。

だが、それをはっきりと聞くのが怖くて。

この関係を壊すのが怖くて。

この想いを紘人に打ち明けることが出来なかった。






「…好きな人が…いるんですか?」


立ち聞きしていても仕方がない…と、香穂子が移動しようとした瞬間だった。


女生徒のそんな質問に、思わず香穂子は足を止めるた。


「あのな…」


「教えて…ください…」


彼女は泣いているのだろうか。


声が微かに震えている。






「……いるよ」






溜息と共に呟かれた言葉。

胸が、締め付けられるように痛い。






「どんな…人ですか…?」


「それは…」


「お願いします! 最後の質問にしますから…っ」


返答に躊躇った紘人に、縋るような言葉を告げる。


仕方ない…と大きく息を吐いた紘人が、再び口を開いた。


「…『音楽を愛し、音楽に愛されている者』だ。それ以上は言わんぞ」


再びドクンと、香穂子の胸が鼓動を打つ。


不意に、一人の女性が香穂子の脳裏を過ぎった。






音楽を愛し、音楽に愛されている女性。

それはきっと    






しばらくすると、紘人に告白したのであろう少女が準備室から出てきた。


慌てて出たためか香穂子には気づかず、そのまま廊下を駆けていく。


自分も失恋したかのような衝撃を受けた香穂子は、
準備室に入る気にもなれず、その場に佇んでいた。






きっと、紘人の顔を見たら泣いてしまう。

すごく切なくて、胸が苦しくて。






そう思うと、このドアを開ける気にはなれなかった。


今日はこのまま帰ろう…と、香穂子が背を向けた瞬間。


準備室のドアが開く音がして、思わず香穂子は振り向いてしまった。


「日野? なんだ…お前さん、来てたのか」


漂うコーヒーの香り、いつもと変わらない声。


胸が苦しくて、息ができなくなる。


「どうした? 今日は…寄って行かないのか?」


「……先生、好きな人いたんですね」


ようやく搾り出す言葉。


「あー…お前さん、聞いてたのか。あれはだな…」


「あの人の事…ですよね。すごく綺麗だし、先生にお似合いで…」


「日野…?」


ぽろりと、涙が零れ落ちる。






きっと、あの女性(ひと)には一生敵わない。






そう思うと苦しくて、香穂子は思わず紘人に背を向ける。


「おい、日野…っ」


すぐにでもその場を逃げ出してしまいたかったが、
不意に伸びてきた紘人の腕がそれを許さなかった。


腕を掴まれ、強引に紘人と向き合う形になる。


「あ…っと、とにかく…ちょっとこっちに来い」


引きずられるように強引に準備室へと連れて行かれ、椅子に座らされる。


それでも涙は止まらなくて、そんな顔を見られたくもなくて。


香穂子は顔を上げられなかった。


「…言っておくが、お前さんの予想は外れてる。
あいつとはもうとっくに終わってて…」


そこまで言って紘人は我に返ったように口を紡ぎ、
大きく溜息をついた。


「…とにかく、それはお前さんの誤解だ。絶対に有り得ない」


「じゃあ…」


「ん…?」


大きく深呼吸をし、言葉を紡ぐ。


「…先生の好きな人は、誰なんですか…?」


力を振り絞るように紡いだ言葉。


顔を見なくても、紘人が困っているのがわかる。






言わなければよかった。






今更ながらそう思い、今すぐにこの場を立ち去ろうと、
香穂子が立ち上がろうとした瞬間だった。


その沈黙が破られた。


「…聞いてたんだろう? 音楽を愛し、音楽に愛されてるやつだって…」


ドクン、と胸が大きく鼓動を打つ。


「そいつは毎日のようにここに来ていて、いつの間にか…それが日課になってた」


自分がした質問なのに、聞きたくない…とそう思ってしまう。


「一生懸命頑張ってる姿に、いつの間にかそいつから目が離せなくなってた」


胸が締め付けられるように苦しくて、
香穂子はぎゅっと拳を握り締めながら瞳を閉じる。


「…だけど、今そいつは目の前で泣いていて…俺にはどうしていいのかわからん」


不意に声が近くなり、香穂子が目を開けると、
目の前にはしゃがんでこちらに視線を合わせる紘人の姿があった。


その優しい指が、香穂子の目元の涙を掬い取る。


「…どうしたら泣き止むんだ、お前さんは?」


困ったような…照れたような、そんな微笑み。


香穂子の瞳からは、再び大粒の涙が零れ落ちた。


「お…おい…」


紘人の言葉が信じられなくて、だが嬉しくて。


涙が止まらない。


「だって…嘘みた…っ」


うまく言葉にならなくて、香穂子は再び俯いた。


「…参ったな…」


小さな溜息が聞こえると共に、
香穂子の身体は、ふわりと温もりに包まれた。


「…頼むから、泣き止めよ…」


胸が、高鳴る。


紘人との距離があまりにも近くて。


この心臓の音が紘人にも聞こえてしまいそうで。


「せんせ…」


紡ごうとした言葉は、紘人の唇に飲み込まれてしまった。






強引に重ねられた唇。

熱くて、全身がとろけてしまいそうで。

段々と息が荒くなるのがわかる。



長い長い口付け。

その温もりが嬉しくて。






唇が離れると、香穂子はにっこりと微笑み、
紘人の耳元で呟く。






     大好きです、先生。






それに答えるように、

香穂子の唇にもう一度口付けが落とされた。



















こんなんなりました(笑)
2009年初創作が微妙ですみません。。。
なんとなく告白編が書きたかったのです〜。



















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