17.音色     経正×望美 / 切ない












静かな夜。

なかなか寝付けずに陣を出た経正は、浜辺で琵琶を奏でていた。

この身がヒトであった頃より、物思いに更ける時は必ずこの琵琶を手にする。

怨霊であるこの身に…そして終わる事のないこの戦に疲れ始めていた時、
経正は少女に出逢った。



女のか細い身でありながら、少女は仲間を守りたいのだと語った。



自分を助けてくれた仲間達のために強くありたいと…。

いつだったか、己の無力さに涙を流す少女に、
経正が琵琶を奏でながら『己の無力さを認めることは貴女の強さだ』と語ったことがあった。

思えば、故意的に逢瀬を重ねるようになったのはその時からである。






とても強い瞳をした少女     春日望美。






何度も逢瀬を重ねるうちに、
経正は必死に強くなろうとする望美の姿に惹かれるようになっていた。

望美もまた、経正に惹かれていただろう。

だが、互いの立場に気づき始めていたせいか、
二人が想いを口にすることはなかった。






「経正さん…?」


琵琶の音に混じる、恋しいその声。


経正は弦を弾く手を止めた。


「やっぱり経正さんだ」


にっこりと微笑んだ望美は、経正の横に腰を下ろす。






源氏の神子。

望美は、白龍の加護を受けた神子であった。

源氏に組し、神子としての力を奮っている。






「眠れなくて散歩してたら、琵琶の音が聞こえてきたから…」


辺りを見回すと、八葉と思われるような人影はない。


彼女は、たった一人で平家の陣に近いこの浜辺までやってきたようだ。


「このような場所までいらして良いのですか?」


「あ…みんなが心配しちゃいますよね。黙って出てきちゃったし…」


悪戯がばれた子供のような無邪気な顔を見せると、望美は軽く舌をぺろりと出す。


経正は『敵の陣の方までやってきてよいのか』と聞きたかったのだが、
この無防備な神子には通じなかったようだ。


そんな彼女を見て、経正にも自然と笑顔がこぼれる。






永遠に続きそうな、静かな時間が流れていく。






「静かで…いい夜ですね」


広く果てしなく続く海を眺めながら、望美がぽつりと呟いた。


「あの…よかったら、また琵琶を弾いてもらえませんか?
経正さんの琵琶…すごく好きなんです」


少しはにかんだ笑みを見せながら見つめてくる望美に、経正の胸が高鳴る。


「ええ、構いません。私などの琵琶でよろしければ…」


にっこりと笑んだ経正は再び琵琶を奏で始める。






望美だけのために。






「やっぱり…経正さんの琵琶、いいなぁ。力強くて、優しくて。
でも、どこか切なくて…」


ほんの一瞬、望美は悲しげな笑顔を見せたが、
次の瞬間にはまたいつもの笑顔に戻っていた。


「なんて、楽は全然わからないんですけどね」


ぺろりと舌を出すと、望美は瞳を閉じて再び琵琶の音色に聞き入る。






互いに、戦のことには触れようとしなかった。

長く続くはずがないとわかっているこの時間を、壊したくはない。

愛しい人の為だけに琵琶を奏でるこの幸福を、
経正は今しばらく味わっていたかったのだ。






ふと横の望美に目を移すと、彼女は小さく肩を上下させていた。


声を押し殺し俯いた望美の瞳から、ポタポタと雫が零れ落ちる。


「望美殿…!?」


思わず琵琶を止めた経正が望美に手を延ばそうとすると、
不意に暖かいものに包まれた。


経正の身体を包み込む望美の細い腕は、小さく震えている。


耳元にかかる、望美の熱い吐息。


抑えられなかった想いが、温もりと共に伝わってくる。


「望美殿、私は…」


「何も…言わないで…」


暖かい雫が、経正の衣に零れ落ちる。


「ごめんなさい…。今だけ…今だけ、このまま…」






     抱きしめていて。






経正の耳元で、望美は囁く。






愛しい温もり。

求め、欲していたもの。






望美の脇で宙で彷徨っていた経正の手が、確かに望美の身体を抱きしめる。






源氏と平家。

ヒトと怨霊。



決して叶うことのない願い。

せめて、今だけは…この美しい涙が止まるまでは、
こうして愛しい人を抱きしめていたい。

この幸福を…感じていたい。










「もう…行きますね」


鼻をすすりながら、目を赤くした望美は必死に笑顔を作る。


「大丈夫なのですか?」


「大丈夫です。こんな近くまで送ってもらったし…。経正さんこそ大丈夫ですか?」


「そうではなくて…」


穏やかに笑ってみせる望美に返答をつまらせ、経正は俯く。






こんなにも愛しいのに。

こんなにも悲しんでいるあなたの傍にいられないことが、もどかしい。






「もう…大丈夫です。…今日、経正さんに逢えてよかった」


少し潤んだ瞳を隠すように背を向けると、
望美は仲間達の待つ源氏の陣へ向かって歩き始めた。






華奢な望美の背は、消えてしまいそうで…儚い。

もう…こうして二人きりで逢うことは出来ないかもしれない。

次に逢う場所は…戦場かもしれない。






「望美殿っ!!」






経正は自身も驚くほど声を荒げ、望美を呼び止めた。


望美はゆっくりと振り返る。


「これから…毎夜、私は琵琶を奏でましょう。あなたの…ためだけに…」


精一杯の穏やかな笑顔で、望美を見つめる。






これが、離れた愛しい人に想いを届ける唯一の方法。

経正の…精一杯の告白。






瞳からボロボロと大きな雫を零しながら、望美は心から幸せそうな…とびきりの笑顔を見せた。









いつか本当の別れがくるその瞬間まで奏で続ける。


決して結ばれることのない想いを、

この音色に乗せて      

















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